なんのために子どもを持つのか

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こころのボヤキ

出産適齢期になってくると、子供を持つか持たぬかを考えさせられる。

多分人生経験として、いいのだろうけど、身体的、精神的、金銭的リスクを

考えざるを得ない。。。

いつかのひろゆきさんの動画で「親の人生楽しくするために子供作るんすよ」

みたいなこと聞いてちょっと納得というか、結構腑に落ちた感じはある。

自分が子ども目線で「親」を考えた時、そう思うこともあるからだ。

日々このテーマを考え悩むことが多くなってきたので自分のまとめとして

今まで考えてきた事をどうにか言語化してみることにした。

第一段階として、自分は生殖生物として生まれたから、繁殖するのはあたりまえという

動物、原始的考え方。生物は増えるために生まれる。

これはまあ、ごもっともだと思う。生物の役割は増えること、子孫を残すこと。尊いし、美しい。

この段階で生きれるなら本能で感じて行動できて、迷いもなく、楽なんだがなあ。

第二段階に時代は進み文明、文化ができ、家や女の役割として子孫を作り先祖を大事にすること

が課されていたため、夫婦になること、子供をつくること選択肢は必須。

というか女が生きのびていくために結婚、出産が必須であり、

ここまでは子供を持つことに対して、なんの疑問も持つことすら

なかったのかな、なんて思う。家族のために一生を捧げる生き方しかなかったから。

この時期はイメージとしては戦後しばらく、、までくらいかな。

第三段階として私の親世代くらいになってくると、時代が目まぐるしく変化してかなり不安

な時代でもあったのだと思う。

平和だしそれが普通だしとりあえずなんとなく結婚出産している印象

自分の意思がないような、自分でものを考えることができなかった結果にも見える。

(母やその同年代をみていると特に)

人生の自由度が増えて、自分の幸せについて考えられるようになった時代との境目だったのかな。

ただ結婚ともかく、子どもができたことは後悔しにくいから(言ってはいけない)

結婚、家庭生活に不満はあっても、私は幸せなのよって自分に言い聞かせないといけなかった。

もしくは諦めるような感情。熟年離婚の多さにそういうものを感じる。(離婚できるだけ幸せ)

そして今の親世代を見てきた私たちの世代は

時代の成長のおかげで、最低限人生の知恵がつき、過去の歴史や事例から学ぶ事ができ、

未来の事も考えられるようになり、損得で物事を効率的に見るようになった結果

子どもを持ちにくくなってしまったのかな。

賢く(知恵がつく)なると、子供を持ちにくい説。あるな、、、。

子どもをもつことが自分の幸せになるのか?とか自分ベースで考えると、

守るべきものがある強さを持てるところには惹かれるものはある。

私のイメージとしては母グマの強さにめっちゃ惹かれる。

ただそれと天秤にかけて一人ならやらなくて済む「したくないこと、やりたくないこと」

をする日々に最低でも15年程度たえられるかにNOって思ってしまう。

(まぁ発狂しながらも、やりゃできるタイプではあるとは思うけど)

人間だけどうして子育てにあんなに手間がかかるのだろうか。。。)

あとは、根本私自身がこの世に生まれてきたかったのか問われると、

別に生まれたかったわけではない。

親を否定したいとか、反抗の意思があるとかではなく、

単純に自分にとってのしあわせな時間が寝ているとき、夢を見ているとき、意識が現実にないとき

だしなって感覚があるから。

もちろん子どもが生まれれば各部からホルモンもでるだろうし、全力で幸せにしたいと思えるけど

結局は大変だけど子供のために頑張って生きてる私に酔う的な、、?なんて思ってしまう。

賢くなる、自分で物事を考えられる、判断できるようになるのはとてもいい事だし

女でもそういう風にできるように、世代を超えていろんなひとがつらい思いしながら尽力してくれたと

結果だしありがたいとも思うのだが。。。なんか逆に生きにくいというか、常に自問自答状態。

いつか女が賢くなってもいい事ないってどっかのおじさんがいってたのも

少しだけ一部納得しちゃうところもある。(イラっとしてしまったけど)

人間は動物と違い、物事を考えることができる。その思考の発達が

生物としての繁殖したい、増えたいという本能がなんだか相反してる。

これが私にとって子供をもつことへの最初のシンプルな解けない疑問かな。

経済面の余裕とか

世間一般的に旦那が対等に家事育児を頼れない可能性が高い(パートナー力の不足)

ってことは置いといてシンプルに子どもを持つことで考えてみた時のお話でした。

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